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釣り日誌



釣りの話は特に自慢話になるようで、他人様のお話には耳を伏せたい ものがありますが、さて我が事となりますと・・・(-。-)y-゜゜゜  10年ほど前は、休日は渡船で西海の磯に渡り、夜は防波堤でモイカ釣り。 河口での黒鯛釣りには、40日の間に30日毎朝通いました。  イサギに石鯛と、両方の竿と餌を持って行く・・って言う、馬鹿げてるんですが 本人は真剣なんですよ。船頭さんはどこに降ろそうか・・と、困った(-_-;)を してましたね。  ニフティの釣りフォーラムで沈む浮きをテーマに、プラスチック成型で 試作品を作りました。  家の近くの川を車で10分遡ると、アマゴが釣れましたが 型は小さかったな。滝壺を上から見たら、大きなのが数匹 見えたので、黒鯛用の落としこみに使う竿を新調し 臨みましたが、小さいのに餌を取られるばかりでダメ でしたね。  その昔は、野池のへらぶなも少しだけ教えてもらいました。 あれも静かな釣りです。寒くなると当たりが遠くなり、数時間に 1回の、それも2cmほどチクッと下がる棒浮きのトップを、双眼鏡で 覗く釣りでした。  大阪南港でチヌの半夜釣りとか、明石港でのチヌのブッコミ釣りや 加古川にゴムボートを浮かべてのハゼ釣り。  ボート免許も







 
 

木喜津漁港 2007/8/13

2009年9月19日(土)
嵐 浮き桟橋のこと

今は町村合併で宇和島市になったが、今回は津島町嵐の浮き桟橋でのお話である。

前回に御五神島へ渡してもらう清家渡船を紹介したが、その清家渡船のすぐ西の浮き桟橋である。浮き桟橋のすぐ西側には菊池渡船の船がある。R56から道端のAコープを海沿いに30m入ると、漁協の前が浮き桟橋である。更にこの道をずっと進むと小日提(こひさげ)などを経由して岩松川に帰る。途中は意外と隠れポイントで、田颪(たおろし)など大チヌが釣れる場所がいくらでもある。

 コトヒキ マアジ シマイサキ

話を元に戻すが、この浮き桟橋は夜中も3個だったか水銀灯が付いていて、地元の人が夕方釣りをしている程度の閑散とした釣り場だった。漁師町だし湾の奥だから人気が無いのだろうが、近くに小川の流れ込みもあり、河口で釣れる魚が釣れるのだ。

 モイカ ホゴ

カマス、マダイ、シマイサキ、タチウオ、モイカ、ゼンゴ、コトヒキ、ホゴ、ムツなど。これらは普通のフカセ釣りでも良いのだが、この当時ニフティの釣りフォーラムに載せた「キビナゴ釣法」が面白く、ほとんどの魚が対照となる釣法である。この「キビナゴ釣法」、どんな釣りかと言うと、餌に冷凍のキビナゴを使い餌に針を縫い刺しにする。ハリスは歯が鋭い魚が多いので5号以上30cm。

  沈む浮き(プラスチック)の型

その先に固定で沈む浮きを付ける。この沈む浮きは三宅島の「天狗浮き」を真似たもので、量産できるようにプラスチック成型したものだ。海中の微妙な潮の流れに乗せて、餌を先行させながらゆっくり沈む浮きであり、言わば餌を魚の層まで届ける道標の役目をする。はじめは0.5号とか1号の中通し錘を使ったり、水中浮きを使っていたが、より大きいほうが潮をつかめる・・と、沈む浮きに変えたのだった。キビナゴの冷凍が1パック200円程度だったろうか。釣具屋の冷凍物は鮮度が悪いものがあるから、夏場に鮮魚売り場で刺身用を買い冷凍して置くと便利である。

    沈む浮き(木製)

予想しているタナまで餌が落ちたら、またゆっくり引き上げる、この引き上げの動きで釣れる場合が多い。また、餌がキビナゴなので、餌を吸い込む系の魚ではなく、歯があって噛む系の魚がヒットする。カマス、タチウオ、ムツ・・なんてのは鋭い歯をしている。

    クロムツ

「ムツは深海で釣れる魚だろう」なんて意見もあったが、図鑑で見る限りムツなのである。ただ、大きなものは釣れない。せいぜい20cmまでだった。稚魚は沿岸で餌を取り、成魚になると深海に移動するのかも知れない。この釣りは、仕掛けを遠投したら、後はひたすら海中の餌の流れ方落ち方をイメージするしかない。何が良い釣り方なのかは、魚の反応が多ければ魚に合った釣り方だった・・ということだ。つまり、「釣り方は魚に聞け」と言う事になる。

  マダイ

この浮き桟橋の水深は竿4本位だったろうか。おおよそ20mだから、そこそこ深いし流れも緩やかにあって面白い釣り場である。やはり夜露に濡れながら、9月から11月後半の北風が冷たくなるまでやってみた。たぶん、年中何かが釣れるだろうと思う。

  田の浜漁港

マダイの44cmも上がったが、マキエサ無しなので、ともかく何が来るか分からない。どこの釣り場に行っても猫が2匹くらい魚をくれるのを待っている。食べ終わったらまた来る。早朝になり、御五神に出る渡船が出てしばらくすると夜明けになるから、眠たい目をこすり家路に着いた。

2009年9月18日(金)
御五神 サザエバエ

1991.07.25

 

  

御五神島(おいつかみ)・・・この妙な名前に惹かれ、また寝床という深い海中から浮かびあがったような島があると聞いて行ってみた。
渡船屋は清家渡船。初めてだったがR56沿いにあって分かりやすかった。当時はガソリンスタンドが南にあり、又その南は小さなトンネルで遊魚センターもある。 
 
第十八幸福丸と第二十八幸福丸が道路を挟んだところに浮かんでいた。その近くにも渡船屋があり小さな浮き桟橋があった。この2年後だったか、その浮き桟橋の夜釣りにハマリ、休みの前の晩から早朝にかけて、徹夜釣りが何度と繰り返された。やはり、ここはお気に入りの場所なんだが、キビナゴという小魚を針に通して、沈む浮きでゆっくり沈める釣方である。 

   キビナゴ

当時、nifty-serveの海釣り潮目(FFISH)にて、キビナゴ釣方とかと称してライブラリに登録されていたが、2007年に閉鎖されたようなので、その存在は海の中に・・であろうか(~o~)
ともかく、この桟橋と清家渡船とは縁があった。この浮き桟橋とそのキビナゴ釣方に付いては、いずれ詳しく語りたい。

   サザエバエ

今日は、御五神島サステ周りのサザエバエについて・・・だった(-_-;)由良半島の竹ガ島については前出であるが、竹ガ島は須下だけではなく、この嵐や北灘などの渡船基地も縄張りに入っていた。冬季は竹ガ島に寄り磯取りのクジを引き、その後御五神島の寝床の中間附近(4番)で再度御五神のクジ引きを行う。

この、各渡船が寝床に集結する様は、早朝の薄暗い海上で感動するものがある。
クジ引きは親となる船に船を寄せ、割り箸を入れた筒から下に番号をふった割り箸を引くのだが、終結した船の総数により磯の割り当て表を元に、磯渡しが行われる。尚、お客が少ない船もあるので、希望の磯があれば船頭に伝えると、船頭が先方の船に無線で交渉してくれるようになっている。

   クジ引き

船頭は、最近の各磯の釣れ具合や潮の流れ、人数などを加味して磯渡ししていくので、それに従う方が良い。ただ、やはり常連が優先されるし、一人よりも二人の方が良い磯に上がれる。
この日は大潮で、潮は満潮前だった。「カゴかフカセか」って聞いてくるので、「フカセ」と伝える。着いたのはサザエバエ。

御五神は、以前人が住んでいた本島を中心に、東に寝床、西にサステ周りと3つに分かれて呼ばれていた。寝床は1番から8番、ゲタ、千鳥バエ。御五神島は本島のカドからイマバリまで。サステはピラミッドからニシキバエである。

  カワハギ  キタマクラ

引き二分から引きの本流となったが、6時に船が着いてから10時まで、緩い潮の流れにはエサ取りのみ。本流が早くなり鏡潮となり湧き上がり左の沈み根との間が狭く釣りにくい。

グレが2から3ヒロ位でマキエサを追っていたが、湧き潮なので仕掛けがそこに馴染まない。チモトにシズを付けるとアイゴが食ってくる。潮が緩みかけたので飛ばし浮きを付けての2段浮きとした。
アイゴ、口太グレ、イサギ、シマアジ小型。イサギは型が良かった。

   

御五神のイサギは例年お盆明けに大釣りするようだが、麦わらの頃を麦わらイサギと言い最高とし、産卵が終った直後の夏は味が落ちると言うが、中泊のナカバエで10時の弁当船までにイサギを2匹釣って、弁当船で帰り刺身でビールを飲みながら、TVで高校野球を観るというのが通だと思った。
 
 
潮が磯をかすめて流れる磯ってのは良い。

2009年9月17日(木)
柏島 幸島 ナダレ

1996.5.15

   

   ナダレ

   

柏島は黒潮の影響を受け上げ下げの潮より、黒潮の上り下り潮が優先される。高知沖に出きる冷水塊の位置に拠り、瀬戸内側に潮が入ってくるか、それとも一旦離岸し徳島や和歌山方面に接岸するか。釣行前にはチェックするが、その日によって微妙なので、どちらかと言うと結果でしか分からないという、競馬のような予報を立てるしかないのだ。

ともかく、航空写真で見る柏島とか大堂海岸は、白い大きな岩に囲まれた異次元の世界に感じられた。石鯛やイサギが宇和島より早く釣れることから、春先は南の柏島に始まり最後は北の沖ノ島で終るというパターンが教科書だった。

   ナダレ

とは言え、5月と申せば中泊当たりでイサギが食う時期だが、「一度は行ってみたい」感じの島だった。正直イサギの時期は過ぎていた(-_-;)昼に当たる時期から、夜に釣れる季節になっていた。
ただ、5月10日には、グレとイサギをクーラー一杯釣った人が居たようだから、天候の関係かも知れない。(名人は、決して自分の腕のせいにはしない)


大黒屋渡船。初めて行く釣り場は名前で選ぶから、縁起の良い名前は得だと思う。しかし、平日とはいえ20人ほどのお客が居た。その内3割が底物のようだった。柏島の磯割りは、本島、ビロー島、赤バエ(グンカン)、ムロバエ群礁、幸島の5ポイントを五隻の船が一日おきに場所代わりをするといったものだ。この、幸島のナダレは小さな砂で出来た岩で、勾配もあり非常に滑りやすい磯だった。

  サンノジ  イサギ

  タカベ(エサ取りだけど旨い)   カゴ


台風の影響でウネリが高くなり、13:30撤収となった。ほとんど、この日の記憶が無い。釣り日記に書いてある事を羅列しているようなもんだし、そのほうが正確だろう(-_-;)この頃、ムロバエ群礁ではタンカーが挫折して、放置されたままの状況だった。

ウネリでサラシが大きかったので、カゴ仕掛けで竿2本近辺を探った。磯際にはタカベが見えたが、釣れるのはサンノジだけだった。潮が緩かったので、タナが深すぎたのかもしれない。この日はボーズ。ボーズが続くと、それが当たり前のような気分になってくるのだ(-_-;)

  押し着け  次こそ・・きっと!!
 

2009年9月16日(水)
津島町岩松川

1992.03.19.&20

    R56の橋の南側から川沿いを下る

宇和島に転居して間が無い頃、チヌ釣りの場所をあれこれ探した。赤松遊園地や大日提。大日提は民家が海沿いに並んでいるため、また筏や船のロープが入り乱れ、釣りにならない。その日は、大日提の防波堤で釣りをしていたが反応がないので、夕まずめになって岩松川の河口まで戻った。釣りが出来そうな筏があったので、早速マキエサを打つと共に、急いで仕掛けをセットした。
水深を合わせると竿1本強で、釣りやすい深さである。ゆっくり沖に深くなっており、急深ではないようだ。川の上流からの土砂が堆積している加減だろう。この湾の外海は急深で、海底が45度近い勾配となっている。大体60m〜70まで落ち込んでいる。  

     すぐ近くに南楽園

チヌは比較的底の方がポイントとなる。それはマキエサが底に溜まるためで、播き始めは上から見えるところまでエサをあさりに来る。電気浮きを用意するには少し早い時間帯だった。たしか1投目だったと思うが、仕掛けが馴染み浮きがゆっくり立ち、緩い潮で陸から沖へ流れて行く。どのくらいの速さかと言うと、「女子大生が数人で喋りながら歩く速度」の半分程度だろうか。

ものの3mも流れないうちに、棒浮きがゆっくり海中に沈んだ。ピシッ・・と合わせを入れると、チヌ特有の首を振る当たりで、竿先がクンクンと動く。すぐに水面に顔を見せたのは30cm弱のチヌ。水面でしばらく空気を吸わせ弱らせた頃合いに玉網に入れていく。
間違っても玉網から掬いにいってはいけない。掬いにいくとチヌがあわてて逃げようとするからだ。
それから電気浮きを点け、夢中で釣った。その日は6匹だった。

   北灘湾の夕暮れ

前の日の余韻冷めやらぬまま、翌日も夕方に出掛け、5匹釣った。たまたまなんだろうが、3月20日頃は水温も上がり加減で丁度良い。もう少し暖かくなる4月初旬からは、クサフグが邪魔をするようになる。それからというもの、たまには近くの地磯や河口尻など場所を変えて釣ってみたが、やはりこの筏がお手軽で釣果も安定しているので、その後6年ほどよく通った。その筏の持ち主の家族にも一人一人出会い、何度ともなく筏の上で徹夜した。

     夏の夜はガザミ(ワタリガニ)

お気に入りの場所ってものがあるようで、この場所に限らず防波堤でも初回に何気なく期待もせずに竿を出し、良い思いをしたところは、その後何度訪れても良い事ばかりが続いた。
ここはそのうちの一つで、春先のキス、チヌ、夏の夜中のウナギ、波打ち際ではガザミがいたり面白いこともある。少し川を上れば、大陸スズキも電気浮きを沈める。湾奥だから、水温が高くなると赤潮が発生し、夏の夜釣りは仕掛けを動かすたびに、蛍光色の光が水中をうごめいた。湾の中ほどには魚の養殖場がひしめき、決して海水はきれいとは言いがたい。

5月の連休には河口を利用して、有料のアサリの潮干狩りが始まるが、近年赤潮の発生が多くなったり、エイがアサリを食べたので少なくなったから・・とかで中止になっているようです。

毎年かなりの人出があり、大型バスも何台も来ていましたが。地元の人はもっと河口の方で、上から流れてきたアサリを無料で採ってました。私も、例の筏の持ち主がアサリを筏に吊るしていたので話しをしたら、そんな事だと教えてくれました。

  ウナギを掴むには  桧の葉が良い

あの筏の持ち主のおばあちゃん、一緒に並んで釣りをしたことがありましたが、チヌが釣れたので「もって帰る・・」って聞いたんですけど、小さな声で「家族が多いから1匹だけでは・・」とか申してました。まあ、なんか言ってるな・・くらいにしか思いませんでしたが。しかし、一言も文句を言う事もなく長年に渡りお世話になりました<(_ _)>私が持ち主です・・とかの一言もなかったですね。親父さんが人の良い人でした。何度も夜を過ごしたので、思い出も深い場所となりました。

   北灘湾

あるときは、釣り筏で有名な御荘の上甲商会で昼間釣れなくても、帰りに通りすがりのこの筏によって、短時間で家族分のチヌを釣って帰る・・なんて事もありました。
あの、上甲商会の筏はダンゴを直下に落としては食わず、5mほど先に落とすと釣れるんです。これは何度もやったので間違いないんですが、何故かみなさん直下に落とす。バクダンにはコノシロやボラが突撃するので、その先でえさのおこぼれをチヌが拾っているのでしょう。
フグなんかは追っ払いますけどね。チヌが寄って来ると、えさ取りの当たりが一瞬ピタッと無くなる。地合い到来!!となるわけです。

マトウダイなんかもそうですね。明け方にゼンゴを釣って、本来なら時間帯的に入れ食い状態なんですが、これもピタッと食いが止まる。早速ゼンゴを背掛けにし泳がすとマトウダイが釣れて来る。シテヤッタリ・・です。

  マトウダイ  シロギス

明け方は朝まずめって言うようですが、ある船頭は「朝まだか」って言ってました。たぶん、漁師の言葉なんでしょうが、「朝まだか」のほうが良いと思いませんか?
朝日が昇る前にプランクトンが上昇し、小魚がそれを食べ・・・って食物連鎖が開催されるわけです。

夜が明けてしまうと、元の静けさに返るわけなんですが、浮きが見えるかどうかの、そんな30分ほどの時間帯だけが地合いとなる訳です。夕まずめも食いは立ちますが、あの朝まだかの一瞬は全神経を研ぎ澄まして望まないと、それで一日がお仕舞いになるんですからね。曇ってる日は地合いが長続きしますけどね。魚は目蓋が無いですから、光量の調整ができないのではないでしょうか。

   イサギ

イサギなんかも同じく、早朝に小雨が降って一投毎に釣れてきて、家族と親戚の人数を数えていたら、陽射しが見え始めるとピタッと食いが止まる。
ずっと深いタナを探るんですけど、パラパラしか釣れない。やはり、釣りは小雨が降る程度の方が良いですね。

2009年9月16日(水)
由良半島 観音島 イキツキ

1991.12.27

この日は海が荒れていた。前日の風雨のため、かなり高いウネリが残っていたので、内湾にある観音島に行った。行った・・と言うと自主的な言い方だが実際は、船頭の親父によって決められたのだった。

この観音島は、由良半島のエリアながら、船越運河のすぐそばなので、船越運河の小さな港に渡船基地がある、松田渡船の持ち場所となっている。小さな島で内湾にあるが、石鯛の50cmオーバーも上がっており(宇和島の遠投カゴを自作し販売している電気屋さん)、冬季は尾長グレ混じりで沖磯に負けない釣果がある。潮は全般に緩いが、静かな釣りができるところで、しかも予約制になっているので、潮見表を主体に仕事はそれに合わせ釣行するのがベストだ。


   左端が船着き(石鯛も8月から釣れる)

    イガイが良いらしい

   

  特に、12月末からは目が離せない、マニアが多い釣り場である。釣り場は東のイキツキ、北の船着き、高場、南の先には小さなオムスビ。この4箇所で、予約が入っているのは高場が多い。これは冬場の北西風を少し避けられる故かもしれない。高場だけは上がった事がない。

お気に入りはオムスビなんだけど、磯が小さく低いので潮が大きすぎると海から出ている部分が小さくなり危険なので降ろさない。降りる時も、磯に船の先のホースを押し付け揺れを固定している間に降りるが、潮が高いと宙のまま降りるようになるので、磯に足を挟まれたりしないよう、また飛び降りるときに危険なので注意がいる。
「チャラン棒を立てると岩が崩れるから」と言って親父は嫌がった。50cmほどの魚が3匹マキエサを拾うがサシエを食わない。仕方ないから1.5号までハリスを落とすと食ってきた。しかし・・、ヤツは東にのびる沈み根をゆっくり巻き、、道糸を高切れさせて去っていった。おそらくヒラスズキだろう・・と。

 ヒラスズキ   ルアー
 
画像は1段目の左から船着き。2段目の左からオムスビ。別の角度でオムスビ。最後は大猿に迎えに来た松田渡船。

さて、珍しくかなり大きなウネリだが、ここは背中に小さな岩があるので、北西風も少し和らぐ。オムスビの東に沈み根が広がっているため、南からの波がここで誇張され、2〜3m近く盛り上がる。飛ばし浮きをフリーで付け強風でも投げやすくし、当たり浮きは朝日がまともなので逆光浮きの小を1.5ヒロで固定した。磯際こそエサ取りが多かったが、10m沖はグレの入れ食い状態。うねりでサラシが出来て、海中は酸素が行き渡り、おまけに海草に潜むエサが落ちるから、グレの活性はこれ以上ない位に高かった。

尾長混じりで口太グレの40cmまで、25匹ほどの釣果だった。小さなクーラーだったので一杯になってしまい、家に帰っての魚をさばくことを考えると・・・であった。釣りの魚は自分でさばいていたので、お馬鹿でも先の事をちょっと考えてしまうのだ(~o~)
「人の言葉にゃ添うてみよ」ってことわざ?のようなものなかったですか。そんな言葉を思い出す一日だった。

   口太グレ  尾長グレ

荒れている日に船を出す、出さないは、船頭として一番大事な決断だ。関西や徳島、岡山など遠方から釣り客が来ているわけで、それを考えると無理をするんですが、やはり優先すべきは客の安全で、そこが船頭の辛いところなんでしょう。
皆を釣り宿に呼び寄せ、出船前に若い頃の無駄話をしながら、希望に沿った磯割りをしていく。抽選の磯(日振島、御五神)は別だけど、北側の須下も合わせ由良には由良の流儀があるようで。

流れる雲をじっと見て「中止」の一言に、大急ぎで由良の別の基地まで走る・・とか、武者泊が中止なら中泊まで高茂岬を走る・・とか、無理をしてはダメなんです(-_-;)
無理を通そうとすると、そんな時に限っておかしな事が起きるんですが、それはまた別のはなし・・という事で(^・^)

2009年9月14日(月)
大島 宮窪漁港

1990.10.03〜04
釣り倶楽部の連中がチヌを大釣りしたと聞いて、今治市の大島 宮窪漁港に出掛けた。当時は「釣れる」と聞いたらそこにしか居ないような気がして、わざわざフェリーに乗って出掛けたのである。
今なら近場でも、時期や時間帯を選べばどこにでもいるように思っているが、その当時は南から北と、情報に釣られて彷徨っていた時だった。
大島には親戚が2軒あるが、おばさん二人なので遠慮して、知らせもせずコソコソ出掛けた。

夜釣りだと聞いていたので、少し遅くなったが夜の8時に波止に着いた。

出来れば夕まずめに着いて下見をしたかったが仕方が無い。今では瀬戸大橋が完成しているが、その当時は着工して間もなかったと記憶する。親戚がある都合でなんとなく道を憶えていたので、途中のスーパーで食料を調達し急ぎ波止に向かった。

     

フカセ釣りなので、マキエサとなる生オキアミ1/4枚と集魚材を混ぜ、差し餌も生オキアミL寸である。
宮窪漁港は大きな漁港で画像はずっと手前から写しているが、釣りをする白灯台は一番奥になる。あれから19年も経っているので、港の形状も変わっているかもしれない。

防波堤の元には集会所があって、その横には小さなトイレがあった。
10月に入ると水温が下がってくるので、魚が釣れる時期である。夜間は空気も冷たくなり、長袖シャツにゴアテックスの薄手のカッパでは夜中は寒かった。霜が降りるので、カッパは必要だ。北側はテトラが入っていたが、上が平で比較的移動しやすいタイプだったが、滑りやすく濡れているので注意は必要だ。

早い時間帯では、地元の人がマキエサなしの小さなシズだけの脈釣りをしていた。
海の中までテトラが階段状に入っているので、軽い仕掛けでないと浮きを付けない脈釣りはその場所を知っている人でないと難しいだろう。どの辺を釣ろうかと思ったが、チヌは浅いところの方が釣りやすい。先端の白灯台と防波堤の付け根の中間辺りを攻めてみる事にした。さて、手前を釣るか沖を釣るのか?これは昔、神戸の通称「和田防」で数回夜釣りをしていたので、検討が付いた。

  オキアミ生Lサイズ

テトラが水没している水際から1.5m沖を浅く釣るのだ。テトラは45度の勾配もないだろうから、1.5m先ならタナは矢引き程度となる。矢引き・・とは弓矢を引いた格好をしてみて、指先から反対の手の指先までの長さを言うので120cm程度か。明け方の6時半まで、チヌ7匹と口太グレ2匹だったから、退屈しない程度で海の中を想像しながら・・の釣りが出来た。

あまり釣れすぎると、またこれも面白くない。このくらいが丁度良い。サイズは落ちチヌには不満な25cmサイズだが、塩焼きにはいいサイズか。
夜釣りは静かで、瀬戸内海はよっぽど風が吹かなければ波が低いので、静かな釣りが出来る。野池のヘラ鮒も静かな釣りだが、瀬戸内のチヌ釣りも負けていない。

これに味をしめ、翌週はまだ小さかった子供も連れてやってきた。子供は車で寝ているだけで、朝になって釣果を見るだけだが、フェリーに乗ったりと普段と違い楽しい思いだっただろう。
前回かどちらかが地方祭に当たっていて、祭ののぼりが立っていた記憶がある。この夜はサイズは同じで、チヌ18匹だった。北風が強い時は、内向きの湾内でも釣れるが、藻が生えているので船の間を釣るようになる。 

   チヌ(黒鯛)  ホゴ(ガシラ)

和田防式に集魚材を無しにするか、魚影が濃いのでごく少量で良いと思う。
水清ければ魚住まず・・は川の事だと思うが、このチヌは同じようにきれいなところには少ない魚だと思う。しかし、この漁港周りは潮も早く海はきれいのだろうが、生活排水がかなり流れ混んでいるのだろうか。

中泊の磯で正月にチヌを2匹釣ったが、流れの早い中しかも周囲はきれいな海である。ただ、湾内には養殖の筏があるので、その辺を回遊しているのかもしれない。養殖筏がある場所では、餌をやる時間帯で同じ餌のペレットでないと食わない・・って事があるようだ。締まりがなくて油っぽい・・って評された時代も終わり、最近は餌も良くなっているようだ。
病気を減らすために混ぜられる抗生物質も少なくなってるのではないかと期待する。尻尾が変形した魚でも、加工すればわからない。ただ、磯で釣りをしていると尻尾が曲がった魚が釣れることがあるから、ダメなのは放流してるのかもしれない。

     

フグ養殖をしているところで、以前問題になっていたが、今はそうでない事を信じたい。
この大島は「大島石」の産地なのだが、最近はあまり取れなくなったようで、ほとんどが中国産で船で運んでるらしい。

2009年9月14日(月)
由良半島オシアガリ

1990.1.18 
西海の磯としては、デビューとなる日である。釣り倶楽部の人でこちらに詳しい人が居たので、渡船屋を教えてもらった。由良は北側半分と竹が島が須下の渡船基地から出船する。
竹が島は冬季の磯で、沖の御五神が不振な時に良い釣りができることがあるようだ。
由良の北側にはウスバエやムロバエ、ヤスケバエ、ナガハエ、オシアガリなど有名磯がある。
また、須下に降りる道の途中を左に下りれば後と呼ばれる防波堤がある。水面まで高い波止だが、有名磯まで目と鼻の先で、ヒラスズキ狙いに来てる人が多い。
波止は水深が浅いので、厳寒期の2、3月は水温低下のため避けたほうが良いだろう。ただ白い餌がゆっくり沈む光景を目にするだけだから・・・。

  ヒラスズキ    ルアー

さて、初めての渡船屋に行くときは少し興奮気味となる。地図を片手に、夜中の道を須下に下りる道を探す。二通りの道があって、松田渡船(昔は由良荘があったが)がある船越運河を渉ったところから降りて、海沿いの道を須下まで走るか、
山の尾根道を走り須下に降りるかである。船越運河は潮流の関係で、時々死体が上がるらしい。
松田渡船の宿は新しくなったが、裏が山なので寝ているとムカデが出るらしい。
私は夜中に付いて、そのまま車で寝るのが普通だったが、化けて出るようなものは無かった。

初めての道は、尾根道から右方面に須下に降りた。細い道だったが、海に付くと左に小学校があった。その三叉路を右に行くと後々お世話になる坂本渡船。左に行くとすぐに藤本渡船。更に細い道を行くと突き当たりの神社の前に木下渡船がある。
ここの船は木下権現丸と言うが、その後高齢の船頭が渡船屋をやめて、その権現丸はその後も別の渡船屋で使われたようだ。

それから数年して渡船屋をやめたと聞いていたけど、ひょんな事で宇和島で会った。「今は老人倶楽部でゲートボールをしよんじゃ・・」とか。お元気そうで何より・・だった。

     

早朝になって船頭が車のガラスをノックした。この日は私一人と別にもう1組(二人)がいただけだった。
何処へ行くか聞いてきたが、まだ磯の名前も知らないのでお任せする事に。二人組みはナガハエの岡に降り、私は由良では一番南のオシアガリに上がった。地図では一番左端に当たる。
普通なら、初心者は渡船基地の近くの磯に上げる。油代は高いし二組だけだから、普通はそうするんだが、そこが権現丸の良いところのようだ。
日振島の松広渡船の親父も、そういった気性で好かれていた。

さすがに1級磯だけに地図で見ると端だから、上げ下げの潮がまともに当たる。潮目が出来る磯は1級磯が多い。潮目は餌が集まるので、魚も集まる事になるからだ。この日は小潮なので幸い潮が緩く、8時ころに潮目が出来た。
潮目にマキエサを入れるとポイントが遠くなるので、脇の緩い潮にマキエサを入れ仕掛けを同調させる。

竿1本半の浮き下だった。マキエサを打っていると、白くて間抜けな魚が現われた。ウスバハギである。50cmほどあるのが5匹ほど見える。あれは、水面から底のほうまで餌を追うので、緩い潮に仕掛けを入れると当たりもなく餌を取られる。

潮が流れるところだったら、仕掛けを止めてやると向こう合わせとなって釣りやすい。これは、他の魚にも共通する釣りやすさである。
グレよりウスバハギのほうが多いのか餌を取られるので、潮目に重い仕掛けを入れ止めては流す釣りをした。

  ウスバハギ  アイゴ(バリ)

ウスバハギ4枚とウマヅラハギ、アイゴ3枚・・と、しんどいヤツらが相手で腕が疲れた。
良い磯だったが、これから後他の渡船屋のお世話になってからはヤスケバエまでしか連れてきてくれなかった。
この後、権現丸の船頭には続けて竹が島に二度お世話になったが、このお話はいずれまた。

2009年9月11日(金)
宇和島市遊子 水ヶ浦(水荷浦)

宇和島にいた頃は、三浦半島の付け根近くだったので、モイカが連れ始める10月になると、イシダイのエサのガンガゼを取りに行ったり、岸壁のタコをチェックしたりで、この遊子(ゆす)水ヶ浦(みずがうら)に来ることが多かった。
この先にも道は続いていたが、大きな港はないので、手前のポイントから順に入り、最後はこの水ヶ浦で朝を迎えるか、夜中に帰る事となった。

  ガンガゼ  仕掛け

モイカやゼンゴが主体だったから、昼間の風景はあまり記憶に無い。港のどの位置では、ロープに掛かる・・とか海のことは関心があったが、山の方はさっぱりで(-"-)
一度、この段々畑の細い道をワンボックスカーで走った。ギリギリの道幅なんだけど、山頂付近には離合できるような箇所があったので、車から降りて放置された段々畑を下ってみた。
カゴ釣りでもすれば良さそうだったが、道具を運ぶのが大変そうだった。

     

この段々畑は石積みも大変だったろうが、水に苦労したようで、またネズミが多かったので、どこかから猫をいっぱい連れてきた・・とか話を聞いた記憶がある。
サツマイモの蔓が石垣を垂れて、場所を取らなくて良いのだとか。

この段々畑の下は、広い道路と海岸沿いの空き地がある。魚の加工場があって、そのハラワタを捨てるせいか、大きなガシラが多かった。
タチウオが朝まだかの海に、護岸沿いを立って並んだ姿も見られた。ゴンズイ玉って、ゴンズイがいっぱい集まって丸い球のように見えるものだが、持っていた玉アミですくい、5匹ほどを近くに居た猫にやった。
毒があるのを知ってか知らずか、くわえて行ったが、その後やったものには手を出さなかった。
TVを見ていたら、ゴンズイを寿司のネタにしていたが、どんな味がするんだろうかと思う。トゲに刺されないように料理するほうが大変だろう。

  ゴンズイ  ガシラ

なんで、水ヶ浦が思い出深いのだろう。釣り人が多い時でも、人が釣らないところに行っては、良い思いをしたからだろう。船の間を餌木で探り、灯りが無い護岸で当たりを取る。モイカの時期は、次第に季節風が強まり冷たい風になる。
餌木をなるべく遠投し、水深を予想して海底までのカウントダウンをする。底に居るのだから少し余分にカウントし、おもむろに竿を大きくしゃくる。
モイカ(アオリイカ)が近くに居れば、だいたい2〜3投で当たりがある。当たりと言ってもただ重くなるだけの話しだけど・・。

  モイカ

10月頃はモイカも小さくて、水深が1〜5m程度の浅瀬に多く、年末が近づく頃になると水温の低下と共に、沖の深場に移動する。
数は望めないが型が大きくなり、しゃくる竿がグッと止まり、又寄せてくる間に横方向にスライドするような泳ぎをみせる。
別に、ここでモイカ釣りの講釈を垂れるつもりはない。

そうそう・・水ヶ浦の一番奥にはAコープ?があって、その前に浮き桟橋があり船付きになっているのだが、夜間は船はおらず水深が充分あるので、寒くなると良いポイントになる。桟橋のたもとにはゼンゴが群れて逃げてきている。ゼンゴと言ってもこの時期には20cmくらいになっている。

深いところはモイカの犠牲になるから、波打ち際の浅いところに群れているのだろう。
スズキのポイントでは、浅いところでもスズキが突っ込んできて、バシャバシャ音を立てている。
ゼンゴは釣るより網ですくった方が、趣向を別にしたら効率的だ。

浮き桟橋の左側に浮き桟橋を固定する大きな鉄製の鎖が降りているが、これに寄り添うように小魚が居るのだろう、モイカもここに居る。

ある晩、家内と一緒に釣りをしていて、明けがたの4時頃。ばあさんが来て「子供が市内におるんだけど、お祭だから○○を持って行ってやろうと思うが、車に乗せて行ってくれないか」って
言う。「イヤだっ」「近頃は薄情じゃのう・・ブツブツ」って。

TVってヤツは、毎年同じ時期に同じ話題を提供しているようで、水ヶ浦の段々畑も決まったように放映される。
あれから、水ヶ浦と聞けば釣りの記憶と共に、この婆さんの言葉を思い出す事となったのである。

2009年9月11日(金)
由良半島大猿の水道

1995・1・11(水)
由良半島大猿ウド
真鯛52-1匹、イスズミ40-1匹、メバル23-1匹

1995・1・18(水)
由良半島大猿ウド⇒大猿高場
口太グレ40-1匹

    

  
 
               
        
左の画像は航空写真。右の画像は右のデッパリがハマガラスで、ずっと後方の白い崖下がウド。
3枚目がは大ウド。今回の記事とは関係ないが、ウドもこんな感じ(汗)マイナーな磯だ。
下は松田渡船のお迎え。ハマガラスかな。3枚とも画像はパクリ(-"-)この世は便利になった。
思い出の各磯がすぐに見られる。波の音さえ聞こえるように・・。感謝。

潮の状況が分かるように潮見表に釣果を記入しているが、季節とポイントによって釣行の際は大変役に立っている。
かつて大グレで湧いた西海の一端。由良半島の大猿水道が一番好きな釣り場である。由良はオシアガリを境に、北側の須下(すげ)と南側の内海支部に分かれ、磯の持ち場も渡船屋ごとに分かれている。このポイントは由良半島の船越運河にある「松田渡船」の持ち場で、一人で釣りに来ることが多かった私は、この遠い釣り場に行くのを渡船屋の親父に懇願し、なんとか連れて行って貰っていた。
「あそこは深いけんね」と言っていたが、その頃はもうほとんど海には出ず、パチンコ大好き仕事はやる気なし・・の息子に変わっていた。

沖が荒れていたので、ウドに行ってみた。さすがにピトンの後があり底物釣り場のようで、ボイルの白いマキエサはゆっくりと深く深く沈んで行った。

  オキアミボイル

潮はほとんど流れず、左のメオトバエの方向から右のワンドの方へ。左前方にマキエサを入れ、浮き下竿1本強のフカセ釣り。
背後は45度にせり上がった岩山なんで、他に遊びごとは出来ない。前に見える佐々木渡船の持ち場のハナレや松田のハナ(ハマガラス)も、竿は立っていない。

付け餌はそのまま上がってくるが、冷たくないから水温はあまり下がっていない。
数時間が経過したろうか、少し右に泡が溜まる所が出来た。マキエサもたまっているのでは・・と、その場所まで仕掛けを流し続けると。
ゆっくり浮きがもっていかれる。ピシッ・・と合わせをくれると、ギューンと引き込む。大グレか・・と思ったが竿先を叩く当たり。
期待に反し、ギラッと水面近くで光ったのはキツ(イスズミ)。高知県の釣り人はこれを旨いと言うらしいので、ハラワタを除けてクーラーに入れた。

  キツ(イスズミ)  メバル(南限かも?)

その次の一流し。やはり同じところで浮きが入る。合わせには同じような反応がある。「また、キツか」少々手荒く竿をさばくと、水面に浮かんだのは、なんと真鯛。
ハリス3号だから、荒いやりとりは危なかった。ハナレの釣り人二人がタモ入れに気付き、100mほど離れたこちらに風に乗った言葉が聞こえてくる。「マダイ・・・」

ナイフで〆てその間にも勺でマキエサを打つ。針を結びなおし、それからまた一流しだったか二流し。また、浮きがゆっくり入る。合わせを入れたが竿が一瞬止まる。「デカイ」
頭の中は「デカイ・・マダイ!」無理はできない。「マダイは走らせろ」って言葉を思い出すが、一気に沖に走らせて弱ってから取り込むのが良いようなのだが、根に潜られ動かなくなった。

  真鯛

根に張り付かない魚・・って言うが、根を目指すのは間違いない。沖釣りの高場や日振島横島の2番でも、3号の遠投竿が立たず、ゆっくり左の根に持っていかれた。時期的にも間違いなく真鯛に違いない。

その集中した当たり三本で、この日は終った。三本目の当たりは、撤収間際だったと思う。
「真鯛は夫婦で居る」とはよく言ったもので、釣ったのはコブが無いメスだったから、逃げたのはオスに違いない。

味を占めて翌週も出掛けた。しかし、息子の話では「その話しを聞いて、翌日別の人が真鯛を釣った」ガクッ。10時の弁当船まで粘ったが、辛抱出来ずに、大猿の高場に磯代わり。

この日はカゴ仕掛けだったが、40グレ1匹のみ。高場はカゴ名人の常連と一緒だったが、得意の死んだエビ餌も効果がなかった。
何故生きたエビは駄目なのか。御五神(おいつかみ)の1番でカゴ釣りをしたときの事。
わざわざ活きたエビをブクブクで持参したのに、すぐに餌が取られ、真鯛の口まで入りそうに無かった。
元気なエビは他のエサ取りと呼ばれる魚達に、またたく間に食べられるのだ。しかし、死んだエビなら目立ちにくく、真鯛の深い棚まで届く・・と言う訳だ。

あれから、もう14年経ってしまったのか。あの日の事は、昨日の事のように思い出す。
次にあの磯に上がることがあったら、迎えがくるまで粘ってみよう・・と思う。

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